認知症の症状「おしゃべりが止まらない」原因と対応方法

認知症 症状

認知症の症状「おしゃべりが止まらない」原因と対応方法

認知症を疑い、認定されたあとどのように進めていくか

私は徐々に母の変化を感じ取っていました。
でもまさか、そう思っていたのです。


現在、母は栄養不良で総合病院に入院中です。


入院前は介護老人保健施設(通称老健)で生活していました。
これまでの過程を振り返ります。

認知症の対策について紹介します。

この記事に書かれていること

  • 認知症の症状
  • トラブル事例
  • 認知症の対応方法
  • 家族との関わり方

認知症の症状

父が他界した6年ほど前から、母に変化が現れ始めます。

おしゃべりがとまらなくなる

もともとありましたが、数分前に発言した事を忘れるようになりました。それでも最初は年齢のせいだと思っていました。

母は借家ぐらしです。一軒家で小さな庭があり、周囲はブロック塀で囲われています。
このブロック塀が倒壊して、そばを歩く子供に当たって怪我でもしたら、自分は責任が取れない、と恐れるようになりました。


そのブロック塀が老朽化していたのは事実です。


またちょうどその頃、地震により小学校のブロック塀が倒壊し、小学生が死亡するという痛ましい事件が起きたことも重なりました。


眠られないと訴え、結局転居することになりました。

料理をしなくなる

母は自分の未婚の息子、私からしたら弟、と2人で暮らしており、毎日の食事作りは日課であったのですが、日に日に、外食やお弁当と聞く日が増えます。それでもしっかりと食事は摂っていました。

悪徳商法に引っかかる

悪徳な水道修理業者が自宅を訪れ、だまされて高額な修理料金を支払っていました。
そもそも、修理の必要もなかったのに、言い含められて修理していました。


父がいたころには考えられないことでした。どちらかと言うと用心深かったのです。

家電製品が使えなくなる

長年使用している電子レンジやテレビなのに、突然使用方法が分からないから教えてほしいと、たびたび訴えるようになりました。

認知症でのトラブル

認知症でのトラブル事例

やはり、金銭管理が上手にできなくなり、気が付いたときには預貯金の残高がほとんど無くなっていました。


高齢になっても自分のお金は自分で管理したいと考えるかたが多いので、一方的に取り上げてしまうのはよくないですが、早い段階からお金の流れをつかんでおいた方が良かったと後悔しました。

家族との連携が取れなく 親族が不仲に

残念ながら、同居していても弟は母の変化に気づきませんでした。
気づかなかったのは、本人の性格によると思います。


また、弟は契約などの書類にかかわる手続きは苦手としており、そういった事務手続きはすべて私が行なっていくことになりました。


でも、同居家族がいるというだけでも安心感はありました。
実際、3年ほど前に自宅で転倒した際は、弟が、起き上がれなくなっている母を見つけて救急搬送することが出来ました。

転居などの手続きで疲労感がすごい

転居の際に、不動産業者とのやり取りや、引っ越し業者とのやり取り、当日の仕切り、役所関係の手続き諸々いっさいを私がすることになってしまいます。
当時、自分の子どもの高校受験も重なり、大変なストレスでした。
転居後、あきらかに認知症状が悪化したのを感じて、いよいよ自治体に連絡して要介護認定の申請をしました。


認定に際して、あらかじめかかりつけ医で一緒に受診したり、自宅での聞き取り調査の立ち合い、認定後のケアマネさん探しなど一手に引き受けなければなりませんでした。


介護保険を利用するためには、なにもかもが契約という書面のやり取りがあります。
実家のみとめ印は常に鞄へいれておき、いつでも捺印できるように準備しておかねばなりませんでした。


そうしないと、不備で2度手間になることがあったからです。
契約に関しては、webで出来たりしないものか?と感じました。

認知症の対応「施設や病院に入ってもらう」

認知症の対応「施設や病院に入ってもらう」

母が救急搬送されたのは、転居して数か月後でした。転居によるストレスからか体重が激減してしまい、衰弱していたうえに風邪をこじらせていたのです。


治療はすぐに終わったのですが、移動は車いすでしかできません。
自宅へ帰ることは困難だとケアマネさんに相談しました。


私たち家族が幸運だったのは、総合病院の系列の事業所でケアマネさんと契約をしており、退院後の受け入れ先として、病院系列の老健に入所を打診してくれたことでした。


老健では自宅へ戻るという事を目標に、リハビリに力を入れてくれます。
ただし、母の場合は入所当初から、認知症の度合いと、昼間は独居になってしまう事を鑑みて、車いすが不要になっても、帰宅は難しいと言われていました。


ひとまず、リハビリの計画を立てて様子をみつつ、その後の生活設計をしていくことになりました。


老健での生活は母に合っていたようで、すぐに歩けるようになり、食欲がもどって、やせ細っていた身体がすこしずつ丸みを帯びてくるまでになりました。


本来、そうなってきたら老健は退所しなければなりません。


そうならなかったのは、勢いを増してきたコロナ禍が理由です。
最初のころは、まだ面会も居室で出来ていましたが、応接室になり、結局面会はできなくなりました。
また、コロナ禍が落ち着くまで、退所は延期となりました。
少し感染者数が落ち着いていた頃には、面会が再開されましたが、またすぐにできなくなりました。


老健でありがたい点は、費用が安いことです。社会福祉法人が運営しているため、介護の質も保たれているはずです。現在は中へ入ることができませんので見て取れるわけではありませんが。
半年ほど前、コロナ禍が空けたときにどうするか、という相談をされました。


認知症が進んできたけれど、排せつや食事は自力で出来るため、グループホームを勧められました。


いくつか見学へいき、2つの施設に順番待ちの予約をしています。
費用は老健の1.5倍から2倍弱かかるようになります。


母が恵まれているのは、父の遺族年金がそこそこあり、資産がなくてもなんとかグループホームの費用が捻出できることです。


しかし、自分の時はそうはいかないな、と考えさせられています。

病院や施設を検討する

グループホームの話が進んだのち、母はコロナに感染し、それ以降どんどん衰弱していると報告がありました。


家族は面会も出来ず、心配していたところ、食事を摂取しなくなって衰弱しているので、入院させます、と連絡がありました。


現在は、老健の系列病院で入院し、食事療法をつづけています。


入院時には、もしかしたら「胃ろう」になるかもしれないと言われていたのですが、少し回復している様子です。胃ろうになると、グループホームによりますが、対応していただけない可能性が高いです。


系列病院なので、退院後は同じ老健で受け入れていただけることになっています。
老健での回復状態で今後の受け入れ先を検討していくことになりそうです。

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