私の母は、83歳の時に認知症の症状が出始めました。
主な症状は、幻覚と、 夜間のせん妄のような症状です。
また、母は、パーキンソン病も発症しています。
幸いにも、身体の機能や足腰が弱っているため、徘徊はあまりありません。

この記事に書かれていること
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認知症の症状と経過
最初に認知症の症状が出てしまったのは、膵炎という病気になってから、3か月以上入院したときのことでした。
膵炎の症状が良くならず、 ICU に入って、1か月も、ずっとベッドの上に いたことで、訳が分からなくなってしまったようです。
はじめは、「おじさんが 家にやってきた」 と時々、わけのわからないことを言ったり、歌を歌ったりする程度でした。
家族と会わなくなると進行が加速「赤ちゃんが泣いているからいってあげて」
でも、入院生活が長くなるうちに、外との刺激がなくなったり、面会も、家族が時々しか行けなかったりしたので、母は認知症が進んでしまいました。
その後、リハビリのために、他の病院に転院したばかりの時が、一番症状がひどかったです。
「ここは四国の病院だ」とか、「私は四国に来ている」と いったり、「赤ちゃんが泣いているから、すぐ行ってあげて」 などと言って、看護師さんやお医者さんも困らせる ことが多くなって、私も、どのように、母に声をかけていいか、分からなくなってしまいました。
その後、2週間ぐらいすると、なんとなく、症状が落ち着いてきて、 娘の私の顔がわかったり、夫である父の顔が分かったり、「早く家に帰りたい」と言ったりするようになり、元気な様子を取り戻して くれました。
それを見て、なんとなく、私はほっとしました。
コンビニにごみ袋を買いに行くつもりだったそうです。ところが家を一歩出たとたんに、自分がどこにいるのかわからなくなりました。
引用元:朝日新聞「認知症の忘れられない記憶」
施設を離れ家に帰ると安定
退院して、家に帰ると、慣れた環境だからか、母は、精神的に落ち着いてきました。
私に、「よく来たね。また来てね」と笑顔を見せてくれたり、 食事をきちんと食べてくれたりして、退院後は、落ち着いてくれました。
それでも、やはり、時々は、「穴から 虫が出てくる」とか、「赤ちゃんが出てきた 」などと 言うこともありました。
今は、父がすごく元気なので、母の介護を父がやってくれています。
私は、そのことに、とても感謝しています。
私は、父が趣味の囲碁に出かけたりする時に、時々、実家に立ち寄って、母の話を聞いたり、一緒に話をしたりしています。
困っていることは、私が普通に話をしていても、時々わからなくなる ようで、たまに、「ジュースを買いに行きたい」 と動かない足を動かそうとしたり、外に出ようとすることです。
幸い、徘徊はないので、大きなトラブルは、ありません。
認知症の状態で転んで怪我をして救急車を手配
しかし、一度 、ジュースを買いに行 こうとして、家族が誰もいない時に、外に出て、玄関から100 M ぐらい出たところで、転んで出血し、救急車を呼んだことがありました。
その時、 転んだ20分後ぐらいに、たまたま、妹が家に帰って くれたので、 大きなトラブルになりませんでしたが、 それでも、出血して、手の骨を骨折し、再度入院 となりました。
頭からの出血だったので、出血量が多く、私は、母がなくなるのではないかと、その話を聞いた時、悲しい 思いをしました。
今は、父が母の介護や、病院への通院 の介助をしてくれているので、私は、メインで介護を せずに済んでいます。
ですので、私自身の疲労度は、それほどではありません。
落ち着いた時に話し相手になる
父が趣味に出かけたり、家を留守にするときに、実家に行って、母の見守りをしたり、母の話し相手になってあげる ぐらいです。
また、妹が、私よりもしっかりしていて、車の運転や、食事の支度などは、妹がやってくれます。
ですので、私は 、実家から少し離れたところで、1人暮らしができています。
母と同居している父と妹が、母の介護を協力してやってくれているので、私は、今は、疲労がほとんどありません。
すごく 助かっていますし、父や妹に、「ありがたい」と感謝しています。
遠方の家族も時々会いにくる
遠方の遺族は、母の兄弟 がたくさんいますが、母の妹である私の叔母が、時々、食べるものや飲み物を持って、母に会いに来てくれます。
その時は、叔母が母の相手をしてくれるので、私や、父、妹は、 その間、ちょっと息抜きができて、とても助かっています。
その他の母の兄弟も、5人いますけど、 その他の母の兄弟たちは、それぞれ家庭があり、いそがしいので、1年に1回ぐらいしか、うちの実家には 来てくれません。
それでも、母にとっては、父と妹、私がいるだけで、満足なようで、妹や弟達の ことは、あまりあてにはしていないようです。
私の母は、とにかく、父がいてくれたら、それでいい人なので、 他の兄弟のことは、元気な時から、あまり口に出していませんでした。
母は、若い時、保険の外交をしたり、自営で、喫茶店 をして、働いていました。
しかし、保険の外交も、パートだし、自営業も、厚生年金ではないので、年をとってからの年金は、 1か月に、35000円ぐらいしかありません。
遺言、遺産の話でトラブルになることもあります
ですので、遺産は ほとんどないですし、元気な頃から、母は、自分で遺言を書くつもりも全くなかったようです。
たぶん、お金を持たない人だったので、遺言や遺産のことは、元気な時から、全く気にかけてなかったのだと思います。
施設については、母は週に2回、介護保険を使って、デイサービスに通っています。
デイサービスでは、お風呂に入らせてもらったり、ご飯を食べらせてもらったり、その合間の時間で、ゲームをしたり、漢字を書いたりするようです。
デイケアの費用は、1回が 1200円ぐらいで、1週間に2回行っても、3000円かからないぐらいです。
これは、母が介護保険の要介護3の 認定を受けているからです。
施設への入所は拒否
私の母は、認知症になっていても、施設に入所することをすごく嫌がります。
今から3年ぐらい前 母がまだ認知症を発症する前の頃、私は、母に、「もし、認知症になったら、施設に入る?」と聞いたことがあります。
すると、母は、「施設には入りたくない」 ときっぱりと言いました。
母の中では、年をとってから施設に入るということは、まるで、自分が家族から見放されて、姥捨て山にでも行かされるような気持ちがしていたのだと 思います。
認知症になった今でも、施設の人が来て、「デイケアに行くよ」と言うと、時々、「行きたくない」 と拒否し、嫌がることがあります。
デイケアを施設入所と勘違いしているのだと思われます。
それで、施設の人が家に入ってきてくれて、「ずっと行っとくわけじゃないよ。今日の夕方には帰るんよ」と説得してくれます。
すると、ようやく、母は、 軽く頷いて、デイケアの送迎の車に 乗ってくれます。
デイケアに行っている母の施設の費用や、入院したときの費用などは、全て父が負担してくれています。
私は、施設に入ることを嫌がる母にとって、父が元気でいてくれて、自分の介護をしてくれていることは、とても幸せなことだと心から強く感じます。